私がFXで勝つ理由

全ての道はFXに通ず

今日はちょっと特別な話になります。

( 太宰修が好きなあるトレーダーの独り言=私 )

別に読まなくても大丈夫です。
個人的な話ばかりです。

今回は、勝つしくみ的な話ではありません。
勝っている理由でなく、勝たなければならない理由、バックボーンの話です。

ですから、理論でも、効率でも、基礎でも無い、個人的な話です。
ちょっと長いので、お茶かビールでも用意して、お時間のある時にどうぞ。

私のケースでしかありませんが、読んで頂ける場合は、
ぜひみなさんも自分の未来を想像しながら読んでみて下さい。

いつから、勝ち始めるのか。
いつまでに、そうなるつもりか。

どのようにしてそうなるのか。
そのあと、どうなるのか。

自分の「未来像」と比べてみてください。

いつから、なぜ勝てるようになったか

ボロを着てたら心もボロボロ

いつから、何を想って、何のためにFXを始めたか、

当然、直接的にはお金の為で、

親や自分の老後、子供の為、甥っ子姪っ子にとっても
誇れる叔父さんでありたいとか、あるんですけど、

結局、なんというか、プライド?
「自尊心」の方がしっくりくるかな?と思ったりしまして。

初めからこれを目指していた自覚は、ないです。
今になって考えるとそう思ったに過ぎません。

「とにかく金がいる」

そういう、折衝感というか、
「このままで将来どうなるんだ」という不安感はありました。

一従業員ではこの先見えている。
どんなに努力しても月収数十万が関の山。

一度の人生、燃え尽きるくらい粘って上を目指した方がカッコイイし、楽しい。
貧乏に納得するのを、いさぎよしとは言わない。

どちらにしろ結局貧乏なら、上を目指した方が可能性はある。

うまく言えないんですが、みすぼらしくありたくない、というか、みじな生活が耐えられないというか、

「ボロは着てても心は錦」と言いますが、私はどうもそれが出来ない。
「お金が目的」なのは当然ですが「お金を稼ぐ目的」は別ですよね。

五右衛門風呂は風流か?

小学生まで共同風呂のボロアパートで家族3人暮らしで、
その風呂も、くべ炭(クベタン)って言うんですか、兄がマッチで新聞紙に火を付けて釜戸に入れて沸かつヤツでして、

アパートなのにトイレは玄関の外にあって…と、私の年齢にしても結構年代モノのボロ屋だったんです。風呂があるだけマシですが、周りに風呂なしの子はいなかったなあ。
風呂窯は、コンクリート製だったと記憶しています。半円の木の蓋が2つありました。
(低学年の時、家主がガス窯に変更)

お金が無い事には慣れてる筈だし、子供の頃も何とも思ってなかったんですが、
なぜかこの歳になってから、ひもじい自分が我慢できないんです。

ひもじい「生活」は出来るんです。
ひもじい「自分」が我慢できないんです。

たぶん、これは親が私に対して(結果的に)与えた感覚なんだと思います。

生活が周りの子と違うから、親は私に劣等感を感じさせないように朝から晩まで働いていて「頑張らなくっちゃ〜あ頑張らなくっチャッ」という変なメロディーが口癖でした。

私が小学生高学年ぐらいになると、親と顔を合わせるのは1カ月に数回・数時間という事がありました。
私たち兄弟が起きる前に仕事に出て、寝てから帰ってくるからです。

朝食は無し、昼は給食、夜は作り置きのご飯です。
なので、給食のない土日に親が作り置きを忘れると大変でした。
(兄弟揃って寝てやり過ごします)

先生が「朝ごはんは食べた方が良い」というので、朝食を始めたところ、一限目から机に吐いてしまった事がありました。
贅沢を身体が受け付けないというか、慣れてないんでしょうね。

隣の席の女の子が、机ごと逃げていくのが、悲しくも、笑えました(ヤドカリみたいで)

でもそんな生活を苦に思った事は一度もなく、むしろ楽しい毎日でした。
子供はそれが普通だと思ってますから。

はっきり言ってノープロブレムです。

でも親は違う。

我が子に、みじめな思いをさせたくないと思っていた筈です。
それは肌で感じましたし、自分が子供を持って改めて実感しました。

だから私は、ひもじい生活をしてはいけないんです。

現状に納得して貧相な生活を受け入れる事は可能だとしても、
その生活を選んではいけないんです。

親は私に、そうあって欲しくない筈です。

親は心配性、子を持つ自分も心配性

これが、私が、ひもじい生活は我慢出来ても、ひもじい自分でありたくない理由だと思います。

耐える事は出来る、でも、そうしてはいけないと何かが訴えかけてくる。そんな感じです。

直接親に何かをプレゼントしたりもいいんですが、私が豊かな生活をしている事が、親の喜びや誇り・自慢になると思っています。

ボロボロの生活をしながら、親に何かをプレゼントしても、気を使わせてしまうだけです。

親は心配症です。

離婚の時は相当心配をかけたと思います。

そして、親でもある自分は、我が子に心配されたくないと思います。
そして、これら全ての将来が心配です。

いくら私は大丈夫だと言ってみせても、
役職も家族もあった私が、その後仕事も変えて安月給で一人暮し、これだけで充分心配かけます。

貧乏耐性はあるので、どんな苦境でも乗り越えられる自信がありましたが、実際、子供と会えない苦痛は想像の遥か上でした。

生活は荒れ、能力は落ち、NHKも払えない。
こんなハズじゃなかった。

でも、これが、本当の自分なのかも。。
みじめな生活をしていると、全てが悪転していきます。

だから、FXは、私にとって、全てを正常に維持してくれる手段なのです。

たしかにお金は欲しい。

でも、そのお金で得られるものは、自信であり、ゆとりであり、自由であり、親孝行であり、償いであり、自尊心なのです。

それを得る為の投資金です。

単純に1万円投資して2万円になるという差益でなく、
目の前の数万円を得る為の無機質な行為でなく、

時間や、気持ちを得ている、心を満たすゆとりになっているといっても良いと思います。

勿論お金が欲しくて始めたのですが、
実際に満たされているのは、お金や物以外の何かです。

お金がなければ何もできませんから、お金は大事です。
綺麗ごとを言うつもりはありません。

ただ、
自尊心を得る為に、お金も必要になると思うのです。

分析したり、研究したり、ここ一番でガツンと勝負したり(あまりしてはいけませんが;)
といった事も好きなので、FXが性に合っているというのもFXをする大きな理由のひとつです。

好きでない事・興味の無い事は続きませんし、続られても苦役になります。

嫌な事を続けなければならないのは、強制労働と同じですが、
やりたい事を続ける行為は、何かを満たしてくれます。

オッサン(私)に何が起こったか

いつから、始まってたのか正直解りません。

FXを知ったきっかけ、退社、離婚、卒業、選択、幼少期、冒険心、親・友人の言葉、約束、経験、学習、出会い、怒り、挫折、屈辱、よろこび、

どのタイミングのどの感情からホントの始りだったのか検討もつきません。

でも繋がってると思います。経験やら、出会いやらが。

大袈裟に言うようですが、全ての経験は無意味でありません。
屈辱的な貧乏生活も、戻ってこない過去の栄光も、今を構成する要素の一つですよね。

多分、結婚生活を続けていたら私はFXをやってません。
忙しい役職についていましたし、まず嫁の理解を得られません。

私の元嫁は、マイホームを購入するのでさえ「ローンしたくない」というほど私と意見が違いましたから
(どやってキャッシュで買えっちゅうねん)

辛い時期もありましたが、この時期がないと、今もない訳です。
不思議なものです。

人生はいくらでも変わる

ですから、今はまだ理想通りに勝てなくても、諦めずに続けて下さい。

私もまだまだ先を目指します。
落ち付くにはまだ早い。
私の未来も、今が作っていきますから、今何をするかは重要です。

後半こそクライマックスな訳ですから、すんごいエンディング目指して、日和らず全力でいきます。

誰だって辛い想いをしたのはFXトレードの中だけじゃないと思います。
でも、それもこれも、ハッピーエンドの布石です。

私世代のアニメの主題歌にこんな歌詞があります。

恥ずかしいので、アニメの題名は一部伏せておきますが、
サイボーグ●●9、という石ノ森章太郎原作のアニメの主題歌です。

「涙で洗う血の大河、夢見て走る死の荒野」

ちょっと伝わり辛いですが…、

過去の、目の前の、燦々たる現状も、理想を忘れず付き進めば、努力がそれを洗い流してくれる。

そんな感じに聞こえます。

他人に尽くす前に自分に尽くす

「自分はどうなってもいいから他人に尽くして生きていこう」

と思った時期がありました。

金が無いなら、人に尽くす事を自分の幸せにしようと思った訳です。

が、無理でした。

小さい人間だと言われて仕方ありません。
でも、それは単に自分の自尊心を維持する為の偽善に近かったのかもしれません。

聞こえの良い「他人の為に」と言ったところで、
親や子供に何もしてやれない事実は変わりません。

「稼げない自分」を正当化して「優しい人」になろうとしたのかもしれません。
他人に優しくする為にも、まず自分に健全な稼ぎがなくてはいけません。

私は不動産屋で4年ほど店長をしていた時期があります。
因みに店長は部長より上の役職になりまして、
役員ではないんですが社内ではAクラスの幹部になります
(自慢にならないのはメルマガ読者なら解る筈です)

建物の老朽化で取り壊しの必要がある等で立ち退きの話になると、
3〜3.5万円の家賃の借家に移って貰うよう入居者に伝えれば、
普段温厚なご年配の方でも人が変わったように罵声をかけてきます。

もちろん、長年の住まいなので愛着があるのも原因ですが、
どんなに優しい人でも、ギリギリの生活だとゆとりがなく、ちょっとした事で心揺さぶられるようになります。

築60年で建物自体が危ないといっても駄目です。
あといくら出せとかよこせとか、お金の話で豹変してしまいます。
本当に大声で叫んで追い返されます。

その方の性格が悪い訳ではありません。
誰でもそうなる可能性があります。私でも。

生活がかかっていれば当然です。
お金持ちであっても、生活が脅かされる金額なら冷静でいられません。
お金持ちでない場合その額が低いだけです。

そして、家主とその入居者はほぼ同年代です。
歳も背格好も似た2人ですが、どちらにも両方の可能性があったのだと思います。

家主も決して裕福ではなく、建物の一部でも崩壊すれば責任問題なので、解体を止む無くしているのです。

こういった職業上の経験も、今の私を形づくっているのかもしれません。

自分で、自分を、金で買う

お金で得ようとしているのは「自分」そのものなのかもしれません。

心乱さず自分のままでいる為に、
自分で自分を維持する為にお金を経由しているとも言えます。

一日パン一枚でも自分の幸せとして納得してきた人間から
そのパンを取り上げたらどうなるでしょうか。

貧しい生活には耐えられる、と思っていても、
そこから更に貧しい状態に追い込まれたらどうなるか解りません。

幸い私は、人生の窮地からなんとか脱しました。
しかし、今でも、いつでも全てを失う恐怖が頭をよぎります。

ギリギリの生活をしていたら、誰だって、たった5千円だって、
「まだ俺から奪うのか」と思う筈です。

そうならない為には、やはり余分と言える程のお金が必要です。
必要最低限では危険なのです。

つまり、「お金を稼ぐ為」は当然として、

お金を稼ぐのは「何の為」かというと、自分自信を満たし、
その後身の回りの家族なども満たす為、ではないでしょうか。

家族を安心させられない事は、自分の自尊心も満たせない筈です。

かなり大袈裟な話に聞こえるかもしれませんが、
プライドを賭してFXトレードに取り組む、それぐらいの姿勢があって良いと思います。

お客さん気分では勝てません。

どんな分野でも、プロは皆そうです。

但し、注意して欲しいのは、プライドを賭ける意気込みで臨むのであって、
これは自分で稼ぐ能力を身に付ける為の覚悟という事です。

生活や全財産を賭けてFXトレードする事ではありませんからね。
これは勇気でなく無謀ですから、履き違えないようにして下さい。

見込み違いのギャンブルに大金を投じるのは全然男らしくも(女らしくも)なんともないですからね!

何が、誰の、何を変えるか?

さいごに、もうちょっとだけ付け足しの話を。

私は不動産業の前、別の業種で8年ほど、同じく店長を務めていた事があります。
地元では大手(だった)外食チェーンです。

全25店舗、市内10店舗の内で最高役職だった事もあるんですよ(自慢でなく、こういう奴でも、旧友に会うのが恥ずかしくなるほどの貧乏にいつでもなるという事です)

そこでは高校生と主婦のアルバイトが殆どです。
産まれて初めてアルバイトを経験する人にも多く携わります。

私が初めて高1でアルバイトした時のガソリンスタンドの店長の言葉を
今でも覚えています。
「遊びじゃないんだから、責任感もって」

遊んでいたつもりはないんですが;そう見えたのでしょうね(汗

だから、私は、アルバイトを採用する時『こいつの人生に関わっている』と思っていました。
私の言葉も、一生残る可能性があるからです。

仮に、相手が、楽して小遣いを稼ぎたい興味本位の社会見学でも、私としては手が抜けない訳です。

私がみなさんの事を「変えよう」とは思いませんし「変えられる」とも思っていません。

ただし、みなさんが『変わろう』と思った時、ほんの少しかもしれませんが、私の経験の何かがきっかけになれれば良いと思います。

みなさんが勝てるようになって、何年かあと、自分のロジックを整理しながら
「そういえば昔、なんとかって奴のブログでこれ覚えたなー」

なんて思い出して貰えたら嬉しいです。

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